長州VS会津 たまたま歴史巡りの旅をしてきて思うこと
昨年の夏、山口県の萩を旅行していたわたし。
長州VS会津でお馴染みの幕末の戦いの地を歩く事になったのであります。
せっかく行くなら・・・と会津行きが決まり歴史を勉強。
歴史の場所となった会津若松市とても楽しみにしていました。
なんていったって藩主であった松平容保がイケメン。
今ドキの塩顔男子。
NHKの大河ドラマでは、八重の桜で綾野剛が松平容保役やってたようですが、似合いますね。京都守護職の任務のため、京都行った際には女性陣からキャーキャーあの子は誰と殺到したらしいとか。
しかしながら、この京都行き含めて松平容保の悲劇っていったら・・・。
クソ真面目が取り柄で、忠誠心が高いけど周りが見えてなかったというかなんというか・・・。会津の教えである会津家訓十五箇条苦しい思いをする羽目になったんですね。
このせいで忠誠誓っていた徳川は逃げ出して大政奉還してるわ、長州薩摩に会津フルぼっこ。白虎隊とかもう生き残ってるやつは生き恥さらすなら死ぬ!って自害。最悪な事態。世界を見ていた長州側の旅をしてきた流れでの会津の旅は、悲しくてしょうがなかった。
その理由は・・・何も残ってなかったから。
鶴ヶ城です。これはレプリカで立て直されたもので、実際にはアームストロングをガンガンにぶっ放してたのでぼっこぼこ。
萩もお城はなくなってしまったけど、城下町だった名残は凄く残っていて、街の人々は歴史に誇りを持っていて知的で上品な人が多かった印象。
ところが会津は、お城周りにあるのはなんとラブホ。
お堀の周りにラブホですよ?信じられない。
お店もほとんどなく、悲しさ倍増の双葉町の仮設住宅の看板・・・。
鶴ヶ城は、歴史を振り返る資料的な展示で、実際に使われてた調度品とかはたぶん全然残らなかったんでしょうね。何もなかったです。で、私は念を感じやすい体質なんですけど、不思議なことに念すらない。
誰もいない。
そんな感じでした。
そして、会津若松では名物の曲げわっぱ飯を食べる予定で、人気のお店を調べていたんです。築250年とか歴史ある建物でいいなぁと思って足を運んだんですけど、80~90年代のバブルの面影を残すピンク街。古いスナックやファッションヘルスが並ぶ中にお店があり、建物こそ歴史はありそうでしたが、お店の方が殿さま商売なのか入店しても案内もしてくれず、こちらが話しかけて座れども30分経っても水も出てこず、値段だけ高かったのでお店を出ようとしたら・・・店員が軒先でTKG。
卵掛け御飯みたいなの食っててハラワタ煮えかえるというか悲しい。ここのお店に限らず、なんとも気づかないというか気づかいが出来ない感じの人が多くて。
萩の上品なもてなしを思い出し、品がない。あぁ会津には会津人がいないんだと。
戦争に負けるというのは何もなくなるということ。
会津若松は戦争に負けて、人々は殺され、武士は青森の先っちょへ島流し状態。
これが負けるって事なんだなぁとしみじみ実感。
今、会津にいる人は、きっと戦後どこからか来た人なんだろうなぁと。
城下町のプライドというものはないんだなぁと。
じゃないとあそこにラブホは作らない。
そう思いました。
そして、教育って自ら考えて動けるようにしないと滅びちゃうなと。
やっぱり長州の教えと考えは素晴らしいなと思いました。
会津の忠誠心も大切だけど。