kaedesunのブログ

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311からの5年間に起きた災害と対策と現実。

311から早いもので5年も経過してました。あっという間ですね。

311の事はよく覚えています。911の日と同じような感覚でした。

 

「非現実」が起きている。どこか客観的な自分がいましたね。

未だに新しく出会う人とは、311の時に何していた?という話題になりますが、私は茨城県に住んでいるので、「震度6弱」の地震が起きました。私が住んでいるところは、どうやら”地震の巣”と呼ばれる地帯のようで、東日本大震災が起きる前にも震度5くらいは体感していました。

 

その日は、どう考えても体感した事のない地震が起きて、あっという間に職場は大混乱。逃げ惑う人々に停電。配管が壊れてタイタニックみたいな大量の水が噴水する中、着の身着のまま外で避難待機。寒いし花粉凄いし2~3時間放置された後は、車で自宅を目指すも信号機は機能せず、家々の塀は倒壊しているし、水道管の水が噴水しているし・・・。世紀末みたいな。映画の世界でした。

 

311で学んだ事と災害対策

地震を経験してから、我が家では災害対策を行うようになりました。

①避難場所

・家の前の駐車場

・近所の小学校or中学校

・地域の交流センター

 

色々なケースを想定して複数の避難所を検討していました。

災害レベルに合わせて、こうだったらここ。こうだったらこの場所。

 

②防災グッズ

最低限の防災グッズを購入し、ナップサックにして玄関先に置いています。持ってすぐに逃げることができるように。

 

③緊急連絡先

災害用伝言版のようなアプリを登録しています。携帯電話が繋がらない場合に備えて。また、こちらでも安否がわからない場合には、上記避難所に確認をする事を家族で決めています。

 

ちなみに、311の後に私の地域では竜巻が多発しています。竜巻による災害は、逃げるのがとても難しいのですが、我が家で一番安全な場所は洗面所と判断しています。

万が一、竜巻が発生した場合には、嵐が過ぎるのを待つしか対策方法はありませんので、一番命が守れそうな場所にいるしかないです。

 

防災意識と現実の災害

我が家は、防災意識が高い方だと思います。

東日本大震災津波の被害に遭われた方が口々にしていた言葉は、「まさか・・・」でした。”まさか起きないであろう事が起きてしまう”のが災害です。

 

そして、2015年に「1級河川が氾濫」し、私は東日本大震災よりも逃げ惑う経験をする事になったのです。

 

あれだけ対策をしていたのに私は逃げませんでした。

「まさか氾濫すると思っていなかった」

「まさか我が家まで水が到達すると思っていなかった」

「まさか・・・」だったのです。

 

我が家は川と川に挟まれています。幼少期も川が氾濫しているため、A川の水位はいつも気にしています。しかし、氾濫したBは土手もしっかりしているし、氾濫してしまうだなんて考えられなかったのです。そして、氾濫したところで我が家は、それなりに距離があるので、水が来るだなんて思ってもいなかったのです。

 

だから、氾濫警告水位危険アラームが、携帯には鳴り響いていたけど他人事でした。そして、気付いた時には水が押し迫り、年老いた母に「逃げるよ!」と家を飛び出した時には、防災グッズが入ったナップサックは見向きもせず逃げました。

 

母に「携帯の充電器忘れないで!」と散々言った私が自分の充電器を忘れていました。

ペットの犬は2階に上げて、猫には「達者でな!」と外に放って健闘を祈り逃げました。

 

しかし、避難予定先は全て沈没。逃げたはいいけど、逃げる場所がわからないという事態。路頭に迷うという言葉が、こんなに合う事はないくらい迷っていました。

 

近くにいた警察官に逃げ場所を訊ねても「他県から来たものでわかりません」と言われ、自衛隊は忙しそうで話かけれません。誰に尋ねたらいいのかすらわからない。逃げ惑う人々は、少々殺気立ってるので怖い。

 

①噂で聞いた隣の市役所の避難所に行ってみたら大渋滞で入れない。

②隣の市の小学校なら避難所かもしれない!と思って行ってみるが開いてない。

③コンビニで黄昏る。

④母の友人が「どこ逃げればいいのー?どこー?」って何回も電話してくる。聞きたいのはコチラだと言っても騒いでいる。

⑤隣の市の新市役所に行ってやっと避難所を教えてもらえた!(駐車場が有料というトラップ)

 

⑤で避難所を教えてもらうが、行ってみないと入れるかわかりませんというリスキーゲーム。

 

現実ってこんなもん。

河川の氾濫は、隣市にいけば平和です。が、海水が押し寄せる地域だったら・・・こんな呑気な逃げ方アウトですよね。

 

あれほど防災意識が高いはずだったのに、実際に災害が起きたら信じられないくらい防災が役に立ちませんでした。

 

災害が起きても学ばない

「あの日を忘れない」ってよく言いますが、忘れるわけがないんですよ。だって、今現実問題として継続中じゃないですか。なうですよ。なう。過去の出来事ではないですよね。

 

「今を知る事」と「これからの事」が大事だと思うんですよね。

 もちろん支援していただいた台湾さんとかの恩は忘れずにしなきゃならんのですが。

 

saigaijyouhou.com

 

風評被害って言う人いるけど。風評ではなく現実起きてる問題ですからね。正直なところ、黒いゴミが増え続けてる街に行こうとは私には考えられないですし。こんな事になっているのに簡単に再稼働させようとしたり、オリンピック招致で安全だよーんなんて言えるとか、私にはわからないね。

 

私たちは311の災害から何を学んだのでしょうか?

私は全く学べていなかったわけですよ。落ち込みました。学べなすぎな自分に。

 

東海村の臨界事故。福島原発事故。身近に起きてるのよね。どこが安全なエネルギーなんだろう?

 

私の住んでいるところは関東平野のど平野のせいで、ソーラーパネルが物凄く設置されているんです。この5年間に。太陽光のエネルギーを利用するのは良いのですが、そのエネルギーを確保するために森林を伐採しているのです。そして、ソーラーのところがゆるゆるになって土手崩壊し、川の氾濫も起きたのです。

 

それなのに、川の氾濫後に山にもソーラーを作ろうって人達がいたのです。さすがにおかしいだろ!と住民の総ツッコミにより、現在は保留になったようですが。なんにも学ばない。

 

エネルギーのために住めなくなるっておかしいよね。

生活するためのエネルギーなのに住めなくなるだなんて。 

 

 戻せるものと戻せないものがあるからね。

 

災害のボランティア精神

自分の地域ではないところで、災害が起きた時にできる事ってなんですか?私は、あまりお金ないので、本当に微々たる過ぎて偉そうに言えないのですが、「募金」をしています。

 

災害が起きた時に、闇雲にボランティアに行くのは邪魔になりますよね。残念ながら体力もないし、サバイバルに慣れていないので私がボランティアに行ったところで、ケガしてお世話になるのは目に見えています。

 

物資を送るのも大切だけど、本当にいらねえの送ってやるなよ!怒。ゴミ送ってくるなよ!日本人なんだから、災害時だからって着古した洋服送られてきても着るわけがない。物資情報は、時差誤差がスゴイので、何か送るお金があるならマトモな機関に「募金」するのが1番良いと思ってます。

 

やらないよりやる方がイイと言うけど。

時にはやらない方がイイ事もある。

 もちろん、ちゃんと装備して現地に運んでボランティアできる力ある人は、本当に素晴らしいと思いますが、被災してない人くらいは混乱せずに正しく支援しないといけないなと思ってます。むやみにリツイートしないとかも含め。